メニューを開く

メガメニュー を開く

メガメニュー を閉じる

  • icon

    TEL:047-712-1305TEL:047-712-1305

    受付時間 8:00~18:00

  • icon

    お問い合わせメールフォーム

    24時間受付中

2024/12/16

和×暮らし

『行燈(あんどん)から受け継ぐ和の灯り』-灯りで和×暮らし-

『行燈(あんどん)から受け継ぐ和の灯り』-灯りで和×暮らし-

松戸市、市川市、宮大工が手掛ける古民家再生・注文住宅の工匠、広報担当です。

現代の家の中には様々な種類の照明器具があります。
主なものを挙げただけでも、シーリングライト、ペンダントライト、ダウンライト、スポットライト、ブラケットライト、間接照明…等々。暮らしの中で、私たちは用途やシーン、目的によって照明の種類を決めて、デザインを選んでいます。家づくりの時に後回しにしてしまいそうな照明ですが、建築時に用意が必要な場合もあるので、後悔しないようにしっかりイメージしましょう。


たくさんある照明のなかでも、古民家再生やリノベーションの時には、和の灯りがデザインされているものがしっくりくると思います。和モダンにもよく合います。昔の照明器具をそのまま使い続けたいと希望されるお客様もいらっしゃいます。


今回は、和暮らしの中に取り入れたい、心落ち着く和の灯りの魅力を探してみます。

和の灯りとは

単に和の灯りといってもどんなものの事でしょうか。

和風、和モダン等と名付いたの照明器具の共通点は、ナチュラルな色と素材で構成されていて、光源が和紙やそれに近いものを通して周りを照らす、柔らかな光ということだと思います。そして、そのもとになっているものは、江戸時代庶民に広まった行燈だと思います。光源こそ炎から電気へと変化しましたが、形や温かみはそのままにデザインされたものが、今もたくさんの場所で見ることができます。どこか心落ちつく行燈の優しい灯り。日本人の心を癒す不思議な魅力があります。では、どのように行燈というものが広まったのでしょうか。

暗闇

あたりまえですが、人が灯りを考え付く前、太陽が沈んだ後は、本当の暗闇でした。太陽と共に起きて働き、太陽と共に眠るしかない世界です。

今は、夜外に出ても何らかの光があります。暗くなると自動で灯る街灯、家々からこぼれる光や、車のヘッドライト。懐中電灯等で灯りを持ち歩くこともできますから、町から離れた山の中だって明るくすることができるのです。真っ暗だから外にいけないなんて言うことはあまりないですよね。本当の暗闇なんて知らずにいる人だって少なくないのではないでしょうか。

私の子供たちは幼い頃、田舎の実家で夜が暗いと泣き出したことがあります。田舎と言っても街灯の光で外を歩くくらいはできます。それでも住宅街で育つ子供にとっては暗くて恐いのです。

寝る前、家中の電気を消しても、外の光がほの明るくしてくれるくらいですから、本当の暗闇に出会うこともなく過ごせてしまいます。電気がなければ夜は真っ暗か月明りだけなのだという実体験を日常ですることなく暮らしています。好んで真っ暗にしたとしても、いつでも灯りがつけられるのですから、昔の闇とはやっぱり違います。電気のなかった古代の夜を想像できますか。月も陰った夜だとすれば、まさに闇です。明けるまでは抜けることのできない暗闇なのです。かつての人々は、どのように闇夜に挑んだのでしょうか。

行燈(あんどん)の広まり

まず、人々が頼ったものは火です。古代から日本の家の中には囲炉裏が作られていました。囲炉裏は料理や暖をとるだけでなく、灯りの役割も果たしていました。屋外ではかがり火や木材の先に火をつける松明(たいまつ)を灯りにしていました。炎のゆらめく光に闇の恐怖から安心を得ていたのです。

動物の油が良く燃えることに気が付くと、油に火を灯すようになります。植物の油や魚の油も使うようになります。やがて井草を乾燥させるなどして作った灯芯を油に浸して火を灯すようになりました。そのままだとすぐに消えてしまうため、木の枠を和紙で囲ったものをかぶせて炎を風から守りました。こうして大切に灯された小さな炎が内側から和紙全体を白く浮き上がらせ、やんわりとした灯りを創りました。それが行燈です。


植物性の菜種油などは大変高価なものでしたが、鰯からとる比較的安価な魚油が庶民の暮らしに広がり、行燈が江戸時代の暮らしを彩るようになりました。
当初行燈は、行く燈りと書く通り、夜道を歩くための松明に代わる携帯用の灯りでした。江戸中期には高価だった蝋燭も大量生産されたことにより、庶民にも提灯など手持ちに便利なものが広まります。行燈はやがて玄関先に目印として吊るされたり、家の中で置き型の灯りになるなど用途を変えていきました。
和紙(火袋)を更に箱で覆う有明行燈が生れます。外側の箱は満月や三日月にくり抜かれています。その箱をかぶせることによって行燈は一段間暗くなります。月の形に漏れる光、有明月を想わす優しく静かな灯りの中で眠るのです。情緒と遊び心。日本人の優れた美的感覚です。

 

出典:「金沢くらしの博物館」

他にも、遠州行灯という円筒型のものもあります。和紙の一部を除いて張られた木枠が二重になっており、外枠が回転。和紙の貼られていない部分同士を合わせて中の火を灯し、回した時の重なり加減で明るさを調節する仕組みです。

行燈の灯りは豆電球程と言いますから、なんと繊細な調節でしょうと思いますが、どちらもおしゃれな灯りです。こうして江戸時代、行燈で光をデザインする文化が育まれてきたのですね。

油を売っている

余談ですが、「どこで油をうってるの!」っていう言葉がありますよね。仕事をさぼって怠けていて時間がかかっているときのビジネスシーンや、頼み事の達成が予想以上に遅かった時などに使います。この言葉は、江戸の油売り商人から生まれた言葉です。当時粘りの強かった油を量り売りする際、最後の一滴がお客の器に切れて落ちるまで世間話や噂話などで間をつないだことに由来しています。江戸の油売り商人の間をつなぐための話が無駄話と変化して、怠けているという意味に転じたそうです。江戸の商人のサービス精神が語源なのですね。

電気で灯る

蝋燭、ランプ、ガス灯の時代を経て、明治時代、白熱電球が日本に入ってきます。一般家庭に配電が整い、夜は闇だった世界から人々は明るさを得ました。これまでとはくらべものにならない程の明るさを灯す事ができるようになったのです。

  出典:「金沢くらしの博物館」


しかし中には、日本独特の美の感覚がなくなってしまうと寂しく思った人もいるようです。薄暗さの中にも美しさが潜んでいたし、昼の光を取り込む工夫をして、日本人はそれを発見し楽しんできたからです。

古い日本家屋や伝統的な社寺にはまだそれが残っています。季節ごとに変わる太陽の高さが計算された深い軒。そこから屋内に差し込もうとする太陽は、障子を通して柔らかな光に変わって部屋全体に広がります。庭に敷かれた白い玉砂利に反射した太陽の光は、部屋に入って漆喰の白い壁に跳ね返り空間へ広がる。日が昇り沈むまで、差し込む光が創る影で表情をかえる屏風や襖絵を楽しんでいました。

日本人というものは、雪が降れば雪見障子を上げて、雪に反射した光を迎え入れ、夜は月を大切に眺め、桜を照らせば花あかり、雪を照らせば雪あかりと名付けて仄暗い部屋の中から四季の光を楽しむ人たちですものね。


囲炉裏の団欒、夜眠るという安らぎ、闇に想像を巡らす噺、炎の光と陰で表情を変える面の芸、手影絵も。均一に明るくてよく見えるようになった便利さと引き換えに、無くなった事柄や薄れた文化があったのだと思います。

行燈に心癒される 和の光


日本には、今でも受け継がれ続ける影と光を利用した美しい文化がたくさんあります。そして日本家屋や社寺建築が創り出す、影と光の中に「侘び寂び」があるのだと思います。そんな日本の美しい文化を少し取り入れた暮らし「和×暮らし」。古民家再生の中で丁寧に修復された照明もあります。照明(灯り)にもこだわって家づくりを考えてみてはいかがでしょうか。忘れたくない日本の文化を取り入れることで、結果的に心安らぐ、温かな家になるのではないかと思うのです。
 

まとめ


江戸時代活躍した行燈は、辺りを照らすというよりむしろ自分自身がほのかに光っている程度のものだったと思います。いまは少し姿を変えながら照明として柔らかに空間を照らしています。そして今やその落ち着いた和の灯りは、海外の方からも人気を集める照明器具となっています。日本人が不便の中で生みだした和の灯りは、和空間だけにに留まらず、洋風の建物や部屋にも活かされており、ハイセンスな演出を叶えています。均一に明るくしてしまう事のない、仄かで温かな光がたくさんの影を創って、素材を艶っぽくみせて、立体的な空間に変えます。かっこよくありながらも人々の心を豊かにする和の光の力は昔と変わっていません。
日本人の繊細さと美的感覚、それを形にできる器用さは、本当にさすがなのです。

灯りで『和×暮らし』してみませんか。


 

こちらも是非☞「囲炉裏で和暮らし」

「金沢くらしの博物館」ホームページ


工匠は、千葉県松戸市・市川市を中心に自然素材を活かした注文住宅・古民家再生を手掛けています。
いつまでも丈夫で美しく、愛され続ける住宅をご提供いたします。
家づくりに関するご相談、お悩みなどお気軽にお問合せください。

お問い合わせはこちら

© 2024 株式会社工匠 KOUSYOU co.,ltd. |
Created by ABABAI Co.,Ltd.